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日本初のラーメンブームを起こした浅草「來々軒」が今秋、新横浜ラーメン博物館に復活!

日本で初めてラーメンを広めた原点であり、ラーメン史を語る上で欠かせない浅草「來々軒」が今秋、新横浜ラーメン博物館にて復活します。浅草「來々軒」の功績とあわせて、新横浜ラーメン博物館に復活する「來々軒」のプロジェクトについてご紹介します。

大正3年頃の浅草「來々軒」

來々軒とは

浅草六区と來々軒の功績
來々軒の創業者・尾崎 貫一氏は明治43年、横浜の南京町から中国人コック12人を引き連れて浅草の新畑町3番地に來々軒をオープン。正月などの繁忙期は1日2,500人~3,000人の来客がありました。來々軒がオープンした当時、ラーメン店という業態は存在しませんでした。ラーメン店の誕生背景には、來々軒が「支那そば」、「ワンタン」、「シウマイ」という大衆的なメニューを安価に販売するという新たな業態を繁盛させ、広めたことがスタートとなります。

來々軒創業者 尾崎 貫一氏

來々軒創業者 尾崎 貫一氏


來々軒にまつわる文献は数多く存在します。「一日何千人かの客を迎へて居る、実に浅草名物」(読売新聞)、「支那そばで売込んだ古い店」(大東京うまいもの食べある記)、「來々軒と言へば、其の名と所在を知ってゐると言ふ全く畸型的な程、其の存在は有名であった」(浅草経済学)。これらの文献から、來々軒がいかに有名で繁盛していたかが伺えます。

★來々軒の沿革
明治43年(1910年) 浅草新畑町にオープン
昭和19年(1944年) 第二次世界大戦により一時閉店
昭和29年(1954年) 八重洲で「來々軒」を再開
昭和40年(1965年) 立ち退きにより、内神田に移転
昭和51年(1976年) 後継ぎがなく閉店

來々軒はラーメン店の代名詞

來々軒の繁盛により、すぐに來々軒と同じスタイルのお店が続々と誕生しました。当時の浅草は、歓楽街で全国から人が訪れる場所であったため、そのスタイルは全国に広がっていきました。
また、來々軒は「支那そばで売込んだ店」と書かれているように、ラーメンが一番人気。同じ業態の広がりだけでなく、食堂や蕎麦店、洋食店、カフェなどの様々な他業態でもラーメンをメニューとして取り入れるようになりました。こうして來々軒を起源とした「日本初のラーメンブーム」が起こりました。

大正後期の來々軒

大正後期の來々軒

來々軒という屋号は、その当時、中国料理の知名度が低く、敷居の高い食べ物だったため、そのイメージを変えるためにも当時人気だった西洋料理や洋食店が使っていた「軒」を採用し、「來々」はお客様が来る、福が来るという意味合いで、どことなく中国的な雰囲気があり、老若男女親しみやすいという事で「來々軒」と命名されました。その後、繁盛し有名になったため、そのスタイルを模倣したお店の多くは〇〇軒とつけるようになり、昭和5年発行の『素人に出来る屋台店/支那そばや』では暖簾の書き方の見本として「何々軒」と書かれており、この時点ですでに來々軒はラーメン店の代名詞となっていました。
また、來々軒の屋号は、太宰治『斜陽』、手塚治虫の『三つ目がとおる』など著名な作品のラーメン店の象徴として使われています。
そして、2020年5月時点現在、來々軒の屋号を使用している店舗は国内に171軒、海外ではパリやニューヨークまで広がっています。

浅草「來々軒」の末裔の協力による復活

來々軒家系図
浅草「來々軒」の復活にあたり協力を得たのは、創業者・尾崎 貫一氏の三男である、高橋 武雄氏(大正期に高橋家に婿養子)の長男、高橋 邦夫氏、そして貫一氏の玄孫にあたる高橋 雄作氏です。高橋 武雄氏は、尾崎 貫一氏の長男である、二代目・尾崎 新一氏が36歳という若さで亡くなり(昭和2年)、亡くなった直後から戦前まで、來々軒を支えた人物です。
高橋 邦夫氏は、戦前の來々軒のラーメンを食べており、父である武雄氏からも全盛期の來々軒の話をよく聞かされ、戦前の來々軒を知る唯一の末裔です。このプロジェクトは、新横浜ラーメン博物館で調査した内容を発表のみならず味の再現もしたい旨を邦夫氏に伝えたところ「ここまで調べたのであれば、私としても是非協力したい」と快諾され、スタートしたものです。

再現された來々軒のファサード
今回のプロジェクトは尾崎家より高橋 邦夫氏が託された來々軒の歩みを後世に残したいという想いと、玄孫の雄作氏が「祖父(邦夫氏)が元気なうちに來々軒を復活させたい」という想い、そしてラーメンの歴史を語る上では欠かせない來々軒の功績を伝えていきたいという新横浜ラーメン博物館の想いが相まって実現したものです。

浅草「來々軒」復活に向けて

再現された來々軒のラーメン
浅草「來々軒」の再現は、これまでの取材と調査に基づいて、明治43年の創業当時(110年前)をイメージしたものとなります。
再現の中心となるのは「麺」と「具材」です。麺に使用する小麦は、明治まで遡り、当時の遺伝子を持つ後継品種を使用し青竹打ち製麺で再現。具材も当時使用していた食材を用い、当時の調理方法で再現します。スープに関しては時代と共に食材の品質や味の嗜好の変化があるため、当時使用していた醤油や食材の基本は変えずに、現代風に解釈した味わいに仕上げています。